一、あいさつは大きな声ですること。
二、時間と規則、約束は必ず守ること。
三、学習意欲と向上心を持って通うこと。
四、話を聞く時は、顔を上げて、相手の目を見ること。
五、わかったふり、出来たふり、賢いふりをしないこと。
六、投げられた浮き輪には、自分でしがみつく努力をすること。
七、不満を言う前に、自分に原因がないか考えること。
八、相手の立場に立ってものを考え、発言・行動すること。
九、謙虚な姿勢と感謝の気持ちを忘れずに勉強すること。
十、遊ぶべきときは気合を入れて遊ぶこと。
この名称は、首都圏の進学塾で小中学校を専門に指導経験を重ねた、地元・大村うまれの塾講師が考えたものです。塾の原型ともいえる寺子屋の起源は、平安時代後期にまでさかのぼります。まだ学校制度のない時代、時間を持て余して神社の境内で遊んでいる子供を相手に、読み書き算盤を教え始めたことが始まりだと言われています。寺子屋は、江戸時代になると都市部だけでなく地方へと広がりを見せ、幕末には全国に1万5千を数えました。これにより日本の識字率が飛躍的に向上し、明治期の急速な近代化を支えたとも言われています。
その後、明治時代に学制が布かれたことにより、寺子屋は衰退して行きましたが、それに代わって全国に普及したものが塾です。学者や知識人が自宅で弟子を採った平安時代の家塾・江戸時代末期の私塾から派生し、学校の外で補修や進学準備のために通うことを目的としたもの、これが現在の学習塾・進学塾にあたります。
塾の仕事、それは勉強を教えることです。《寺子屋塾一歩》も学習塾・進学塾であることに変わりはありません。しかし、これらの大前提を踏まえた上での付加価値、新しい学校外教育に求められるであろうプラスαが【寺子屋塾一歩】という名称に込められています。
ゆとり教育の実施以降、学力低下を危ぶむ声を耳にはしますが、 【知っていて当然】の認識レベルが年々低下していることに対する警鐘が聞こえて来ないのはなぜなのでしょうか?最近ではメディアを中心に 【常識力】が話題となっていますが、 実際に子どもたちが抱えている問題とは多少意味合いが違っているように感じます。国語が苦手な中学生に漢字を教える時、小学校の漢字を覚えているかを確認してみる…まさかここで、ひらがな·カタカナが書けるかを確認する人は少ないことでしょう。 【これぐらいは知っているだろう】という先入観、 これこそが、まずは改めるべき認識となって来た現実があるのです。
ひらがな·カタカナを「ど忘れする」(子どもたちの言い分です)小中学生がどれ程増えてきたことか…家族の名前を漢字で書けない…自宅の住所·電話番号を書けない…すでに危機的状況とも言える常識力の欠落は、 数え上げるときりがありません。しかし、これらを知らなくとも試験でいい点数が取れるという現実があるのも事実なのです。 だからと言って、それでも成績さえ良ければ、点数さえ上がればそれで良いのでしょうか?勉強に対する取り組む姿勢·スタミナの育成はもとより、人間にとって永遠のテーマである学ぶことの意味を考える…古いやり方·考え方なのかもしれませんが、 《寺子屋塾一歩》は、勉強をする上での【Preparation=準備】の形成を念頭に置いたカリキュラムを作成しました。
以前、「こんにちは」「さようなら」の挨拶をしてくれない生徒に対して、 何度か注意を促したことがあります。 すると後日、保護者の方から厳しいお叱りを受けました。「そんなことは放っておいてくれ。塾は勉強だけを教えていればいい。余計なことはしないで欲しい。」確かに塾は勉強を教えるところであり、さらに言えばイイ学校=偏差値の高い学校に入れることが第一の仕事なのかもしれません。よって、人間性云々は付加価値としてみなされて当然なのかもしれません。しかし、私の仕事は優秀なロボットを製造することではありません。相手は血の通った心ある人間なのですから。
礼儀作法·マナー·しつけを指導する…私はこれを声高に·自信を持って行えるほどの人格者ではありません。 しかし、相手の立場に立ち、物事を考えることの大切さを語りかけることは出来ると考えています。これが 【寺子屋塾】と名付けた理由の一つでもあります。
「うちの子はほとんど家で勉強しない。だから勉強の方法を教えてほしい。」とおっしゃる親御さんがいらっしゃいます。しかし、勉強方法が分かったからといって、本当に家で勉強するようになるのでしょうか。子どもの家庭学習時間は年々減る傾向にあります。 机に向かって長時間座ることが出来ない。つまり、勉強に耐えうる体質が育ってはいないのです。授業中でも小5の1学期はまだ1時間集中できない生徒がいます。そうした場合はまず、教師の力で1時間集中できる体質を作るようにしています。実はこれはあまり難しいことではありません。 1学期の間に70%の子は直ります。 2学期で25%、残り5%の子も3学期には直ります。 ただ、授業態度はあくまで授業中の話にすぎません。つまり、教師が前にいるから可能なのであって、家庭学習となるとまた元に戻ってしまうことが多々あります。
中3にでもなれば試験前に10時間勉強する生徒も珍しくありませんが、中には1時間すら勉強できない生徒もいます。 勉強する体質が育っていないことが原因なのです。
体質そのものをどう直すかが教師の力量となります。これは授業中の集中力を持続させるのに比べるとはるかに難しいことです。自発的に勉強する体質が備われば、成績などはある水準までは容易に伸びます。 塾に通うことに安心感を得ることは決して間違いだとは言い切れません。しかしながら、 本人のやる気·意欲がない限り、成績の向上は絶対にあり得ません。スポーツ同様、費やした時間に比例して成績は向上します。 その意味では画期的な勉強法は存在しないとも言えるでしょう。この姿勢づくりがまずは一番の急務なのです。
良い意味で【効率のいい勉強】を求める場合、経験と知識に裏打ちされた 【プロの対応】が必要であることは言うまでもありません。そして本来、 塾に通うことが 【応急処置】ではなく 【恒久処置】 でなくてはならないというのが《寺子屋塾·一歩》の信念の一つです。【王道に近道なし】このような時代だからこそ、一つ一つに時間をかけて、地道に努力を重ねることの大切さを身に付けてみてはいかがでしょうか?
新しい出会いが生まれること楽しみにお待ちしております。
寺子屋塾一歩 大場亮介
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